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2010年 07月 11日 ( 1 )

『戦争の世紀を超えて』

広島では、学校教育のなかに”平和学習”と”いうカリキュラムが組み込まれています。
とはいってもその詳細はよく覚えてないのだけど(学校によって違いがあるのかな)原爆のことや、戦争の歴史についてなど、夏休みの研究テーマで宿題になったりしてました。
これが全国的じゃないってことは、大人になって東京に住み始めるまでまったく知りませんでした。カルチャーショックだわね。
だから、同世代の友人でも戦争に対してどんな認識を持ってるかわかりません。


原爆の被害についてよく聞くのが、「かわいそうで見るにしのびない」という感想です。
まったく、人として当然の反応ですのが、どうかそこで思考を止めないでほしい。
そんな姿をさらしたいわけはないのに、その悲惨な写真を公衆につきつけている意味を考えて欲しい。

これは、事故でも天災でもなくて、まぎれもなく人間がやったこと。
被害者にシンパシイを持つことはわりとたやすい。
だけど、加害者側に自分がなる可能性について考えることはないですか。

悲惨な被爆者の写真を目にするとき、誰もが「こんなひどいことは自分にはできるわけない」と思ってしまうけど、ほんとうにそうなのか。

20世紀は戦争の世紀といわれるけど、その混沌のなかで人をたくさん殺してきた多くの人は、今ここに住んでいる自分や隣人、そんな善人だった。
なにかのきっかけ、正義感らしきものや、大義名分のもとに、正当化されれば、あるいは恐怖によるパニックから、人は意外に残酷なことが平気でできる。

f0146466_1713186.jpgオウム事件だって、
地下鉄サリン事件の実行犯、知性も理性もある”善人”に、なぜあんな恐ろしいことができたのか、ちゃんと解明できていない。

ヨーロッパの悪夢ホロコーストがどうしてあれほど暴走したのか、独裁者の存在だけでは説明できない。

今だって、たとえば北朝鮮から攻撃を受けてしまったら(もしそれが誤報でも)大切な人を守りたいと思ったら、得体の知れない国だけに、反撃には抵抗感が薄いんじゃないかと思う。

善意の暴走はこわい。

案外『STAR WARS』のテーマもそんなところじゃないかと思ったりするのですが、去年の『ガンダム』に続いて、NHKなりの反戦キャンペーン?というのはうがちすぎかなあ。
by contrailfine | 2010-07-11 23:18 | | Trackback | Comments(2)

京都生活も7年目。趣味で始めた染色は10年になりました。


by contrailfine